3人の子連れシングルファザー主夫がその日常生活を公開!  子育ての記録、お出かけの記録、大切なお話、メッセージなど。

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ブログ読者の皆様、ご心配をおかけし、申し訳ございませんでした。無事葬儀も終わり、再び田舎の地での、のんびりとした暮らしを開始いたしました。

今回の葬儀は、大半を自分の弟が取りまとめたので、自分は何もやる事が無く、非常に楽でした。そして、気分的にも、ほとんど落ち込む事も無く、淡々と葬儀を終える事ができました。

死と言うのは、猛烈なネガティブインパクトがあります。僕は約3年前に、妻の自殺と言う、予想もしなかった死と対面し、想像を絶する衝撃を受け、立ち直るのに2年半かかりました。しかし、そのような暗い死の中からも、何かポジティブな事、「学び」と言うものが無いのか、考えました。

そして考え付いたのが、死と言うものを、常日頃から具体的に考える、いわゆる「イメージトレーニング」でした。

父や母、弟だけでなく、わが子の死まで、頻繁に考えました。人間は生き物である以上、いつ、どのような死が訪れるか、予想がつきにくいものです。しかし、あらゆる事態、死に方を想定し、死を迎えた場合、どのように対処するのかを可能な限り、想像するのです。

今回、父は不治の病に侵され、徐々に命を吸い取られていきました。最近は非常に顔色も悪く、意識も混濁しているような時もあったので、イメージトレーニングはより具体的になっていきました。

父の様子がおかしい、と言う第一報は、一通の携帯電話からでしたが、これも予想していました。息を引き取ってから、葬儀屋さんと打ち合わせするイメージ、母親がそして弟が父と対面して泣くイメージ、棺に入っている父のイメージ、伝統的な葬式仏教での葬儀のイメージ。

棺が火葬炉に入っていく場面、親戚一同が会して、酒を酌み交わす場面、妻の死の経験から、思いつく限りの事をすべて、あらかじめイメージしていました。

このようなことを書くと、なんだか不謹慎ととられるかも知れませんが、欧米では、「デスエデュケーション(死の教育)」として、学問にもなっているそうです。死の教育を受けた人は、非常に早い段階で死を受け入れ、それを乗り越える事が出来るのだそうです。

今回僕は、結果的にデスエデュケーションをしていたようです。その結果、上京する前日に、大きな気分的落ち込みを体験しただけで、葬儀を乗り越えることが出来ました。

死を乗り越えるもう一つの鍵は、死生観にもあります。前回の妻の死により、僕は日本の伝統的な死生観と決別しました。平静でいられたのは、それも大きかったと思いますが、それにつきましては、次回のブログで、書きたいと思います。

しかしただ一つ、予期していない事がありました。それは、わが長男が、棺の前で泣いた事です。これはイメージトレーニングしていなかった。

実の母を、甘えたい盛りの小学3年生の時に亡くし、そして初孫としてこれまたたくさんの愛情をもらったおじいちゃんを今回亡くし、長男にとっては結構ショックがあったようです。

いずれ僕も天に召される時が来る。その時、少しでもショックを回避できるように、長男には少しずつ、生と死について考えさせたいと感じた、今回の葬儀でありました。
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コメント
この記事へのコメント
塾長さん
この度はご愁傷様でした。親の死は過去の喪失と言われていますが、そんな感じかもしれませんね。

デス・エデュケーション・死への準備教育、上智のデーケン教授が日本にも根付かせようと永年活動されています。必ず人は亡くなるという前提教育があり、「死別の悲しみは抑えられない。死別の悲嘆をどう癒すか、社会全体で取り組もう」というテーマのようです。
きっと奥様の時とは違って客観視できたと思いますが(多分私もそうなると思います)、時間が経過するにつれ、別の悲しみや辛さが出てくるのではないかと思います。

無理せず養生してください。
2007/05/09(水) 20:12 | URL | loveams #8iCOsRG2[ 編集]
loveamsさん

上智のデーケン教授の事、実はこないだ知ったばかりなんです。死を不浄なもの、もしくはその事自体を考える事を不謹慎とする日本的価値観からすると、根付くのは相当長い時間がかかるかもしれません。親の死を日常的に意識するなんて、親不孝者と罵倒されかねません。
今日は付近をドライブして来ました。葬式済んでドライブと言うだけで怒られそうですが、父と一緒に巡った道をドライブして、まだ子供だった僕が覚えている父の面影を、思い出していました。妻の時もそうでしたが、一つ一つ思い出しては故人を偲ぶ。その繰り返しを少なくとも1年くらいはしないと、本当に死を乗り越えた事にならないかもしれません。
2007/05/09(水) 20:54 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
塾長さん、お疲れさまでした。
大きな落ち込みはなかったようで、少し安心しました。

デスエデュケーション、ですか。
私は初めて聞きましたが、そうですよね、人の死は避けて通れないものですものね…。
江原さんのお話を聞いたりしていると、人は死後の方が自由になれるのだそうです。
この世には修行に来てるから、この世ではかえって大変なのだそうです。
だから、人が死んでしまっても悲しむ必要はない、と。

本当にそう思えれば気持ちも楽になりますが、近しい人が亡くなってしまった時、自分がすぐにそう思えるようになるのかは自信がありません。

でも、故人の事を思い出すのが最大の供養になるというではありませんか。
ドライブしながらお父様のことを思い出すなんて、素敵です。

私の心にも、17歳のままの友達がいます。
多感な時期にとても衝撃を受けたので、死についていろんな本を読み漁りました。
長男くんも塾長さんからお話を聞いているうちに、自分でも探し始めるかもしれませんね。

私もまだまだ旅の途中です。
2007/05/09(水) 22:32 | URL | さとみんみん #d3xRQPUk[ 編集]
長男君・・・ショックだったよね・・・なんか、切なくなってしまいます・・・

デスエデュケーション
塾長さんからいい事教えてもらった。
イメージトレーニング必要だと思いました。
一家を支える私がいろんな場面で受け入れる体制を作っておかないと。。。
塾長さんの考え私は大好きです
これからも色々教えてくださいね!
2007/05/10(木) 08:21 | URL | いちご #-[ 編集]
デスエデュケーション・・・、ですか・・・
「死への準備教育」とも言うのですね・・・
人は遅かれ早かれ何れは天に召されます。
自分の父親はどんな死への準備をされたか・・・
また自分はこれをどう受け止めて何れ訪れるであろう死に備えるか・・・
私は、このデスエデュケーションと言うのは家族や友人、そして周りの人の為に
あるよりむしろ自分との死の向い方を示していると言う方がしっくりくるような
気がします。
家族は温かく見守りつつ自分達もまたその死について学びながら準備をしていく・・・
難しい問題ですが、お父さんが思い残す事なく逝ってくれた事を願うしかないのでしょうね・・・。
逆にそう思わなければ塾長さんも気持ちに整理が着かないのかもしれませんね。
また、思いにふけり思い出に沿って歩く事も死んだ方への供養にもなりますし
相手の死を自分が受け入れる為にも必要な行為ともいえるでしょう。
前向きに淡々と書いてしまい申し訳ありません。

子供の為にも早く乗り越えられる様、お祈りしています。
2007/05/10(木) 14:30 | URL | 子育てパパ #GCA3nAmE[ 編集]
お父様のご逝去に関しては、長くコメントを
避けて来ました。
以前、塾長さんにだけ見ていただけるようにした
コメントですが、ここで改めて、祖母が服薬自殺した
一件を、自分にも言い聞かせるべく、書き込ませて
頂きます。
震災後、建て直した家で、年下の夫(祖父)と違い、
体がどんどん衰えていき、縁側に座っているしかなく、
母や叔母、娘たちの顔や名前も忘れていく中、
初めてのひ孫であるわたしの子たちが訪ねて手を
振ると、薄く笑って手を振り返してくれました。
元気なときにはゴキブリを素手で叩き、イモムシを
手掴みで駆除する人だったのに、晩年の祖母は、
ひっそりと一人で座っている姿しか思い出せず、
その朝、祖父の部屋を覗いたあと、ため込んでいた
精神安定剤や睡眠薬を大量に食べ続け、逝って
しまいました。
本気かどうか、祖母を邪険に扱っていた祖父の、
葬儀での涙、一生懸命おどけて慰める次男、
祖母の顔を撫で続け、冷たいと言って泣く長男。

そして祖父も、一人ぼっちになった家での寂しさを
紛らすためか、毎夜飲み屋に出かけ、カラオケ仲間を
作り・・・きっとそれはそれで楽しんでいたと思います。
けれど、酔った末、祖父は夜中の横断歩道を赤で
渡り、翌日、警察の聞き込みで商店街の人が
遺体写真から証言してくれるまで、車にはねられて
亡くなったことを、家族も、親戚も、誰も知らない
ままでした。

祖父とわたしは、血のつながりがありません。
でも、わたしの子たちに用意してあったポチ袋と、
わたしたち宛の年賀状が悲しくて、祖母の時には
出なかった涙が、祖父の時に止まりませんでした。

死生観、って何なんでしょうか。
わたしにはわからないんです。
魂の存在には肯定的なほうですが、だから死は
悲しくないんだ、とは思えないんです。
悲しくないのは、「あちら」で出会う人々であり、
残される側は悲しいです。
人でも、ペットでも、わたしは死ねば悲しいです。
わたしはきっと、心構えはできないんです。
いつまでも泣いて、泣き続けて、それでやっと、
人間に戻るのが、わたしという人間だと思います。
わたしは、自分が死ねば、楽になるように思います。
けれど、子供たちに、悲しみは時間と共に癒えるよ、と
教えて育てることは決してできないんです。

コメントと思えないような長文で申し訳ありません。






2007/05/10(木) 19:32 | URL | かのこ #kwzMfkEo[ 編集]
さとみんみんさん

なるほど。江原さんの本も、人を幸せな気分にさせてくれますよね。色々叩かれているけれど、良い事言ってると思いますよ。
死後の世界については、また改めて書こうかと思っています。(特段変わった死生観を持っているわけではありませんが。丹波哲郎のようなことは考えていません)
17歳の時はショックだったでしょう。そのような若い歳で、人が亡くなることがあるなんて、これっぽっちも考えないですものね。
「旅の途中」とは、良い言葉ですね。僕もまさしく、旅の途中だなあ。おそらく一生、旅人のままなんでしょうね。

いちごさん

いちごさんは、いつも僕の考えを支持してくださって、本当にありがたく思っています。生まれ変わったら、僕の奥さんにします(ゆうママさんにも同じ事言ったな・・・笑)。
結構自身持ってブログを書いているように感じられるかもしれませんが、、、実は不安との戦いです。ネットですから、無茶苦茶変な書き込みする輩もいますしね。そんな時、いつもいちごさんが見方になってくれていると思うと、非常に心強く感じます。本当に、いつもありがとう!

子育てパパさん

デスエデュケーション、本来は自分の死とどう向き合うかがテーマのようです。僕のように、周囲の人の死のイメージトレーニングばかりやっていて、いざ自分の番になると慌てふためく、という事にならぬよう、心してかからねばならないと思っています。
実は一番イメージしにくいんですよ、自分の死って。
父は亡くなる前日まできちんとご飯を食べて(少量ですが)、淡々と、死んでいった、と言う感じです。怖いとか、嫌だとか、そのような台詞は、家族には漏らさなかったようです。遺書を見ても、非常に優しい言葉が書いてありました。感動的ですらありました。なのできっと、悔いを残さず、立派に天に昇っていったと思います。

かのこさん

思い切って書かれましたね。お辛い思いを抱きながら、書かれた事と思います。
かのこさん宛のコメントにつきましては、明日、もしくは明後日にさせていただきたく思います。
すぐにはお返事が出来ないです。ごめんなさい。
一つ言える事は、かのこさんはものすごく頑張っています。人ってすぐに他人と比べるじゃないですか。他の奥さんと比べて、育て方がどうだとか。でもそんなの、関係ないですよね。自分の、「能力」みたいなものと相談しながら、なるべくその限界を超えないようにやっていくのが、最も素晴らしいことだと思います。
私は正直、子育てが得意ではありません。
その意味では、かのこさんと似ているかもしれませんね。
と、話が全然違う方向になってきた・・・。
また別途、コメレスさせていただきますね。
2007/05/10(木) 20:58 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
長男君の気持ちを考えると切ないですね。
私の場合、実家が自営でしたので、姑のいる母は仕事ばかりで、
週末は父に相手をしてもらい、私は相当なファザコンでした。
輪廻転生があるとすれば、私はそれを信じたいし、前世で関りの
あった人が現世でも関るというのも信じていたい。そんな思いで
息子のミドルネームを父の名前にしました。
私も家族の死をイメージした事があります。特に遠い土地で、
母や祖母の死には会えないだろう事が、先々彼女達の死の後、
自分がどう思うのか、正直怖いです。すぐ行けなかった事を後悔
するかもしれない・・・。
塾長さん、無理なさらないで下さいね。
2007/05/10(木) 22:35 | URL | ree #nJDHedgo[ 編集]
お元気なようで安心しました♪
でもゆっくり休んでくださいね。。
イメージトレーニングですか・・私は塾長さんのような考えを持ったことはないですが、よくイメージしています。。
でも、私のはネガティブな想像で、子供がジャングルジムから落ちたら・・誘拐されたら・・失明したら・・と考え寒気がしてきて、眠れなくなります。。
こんなこと考えるの離婚してからなんですけど・・。

でも、塾長さんのような考えを持ってイメージするのならプラスかもしれないですね!
勉強になりました!
2007/05/11(金) 00:17 | URL | ゆうママ #-[ 編集]
かのこさん

こんばんわ。かのこさんへのコメレス、一日中考えてたのですが、どうにも頭の中でまとまりませんでした。
おばあさまの場合、精神安定剤や睡眠薬が自宅にあった、と言う事は、うつだったのでしょうか? うつに代表される精神疾患で自殺に至ると、周りの人間が悪い、なぜ救えなかったのだ??といった、誹謗中傷にも似た質問を受ける事でしょう。また、言われなくても、自分自身を猛烈に責めることになります。
おじいさまもその後変わられてしまったと言う事からすると、相当なショックがあったのでしょう。
昔の人は、うつ病に対する理解度が低い(一般論です)ので、病気自体をどうしても理解できずに、二重に苦しんで、お酒などに頼ってしまわれたのかもしれません。
それと、残された長男、次男さんの心中を思うと、本当に辛い気持ちになります。
かのこさんはおそらくたくさんたくさん泣いて、それで死の苦しみや悲しみを乗り越えるタイプなのかもしれませんね。本来は僕もそういうタイプだったのかもしれません。しかし、妻の死の時、それがあまりにも苦しくて、一生分の涙を放出して、もう二度とこういう苦しみは味わいたくない、と思った時に、死をイメージトレーニングするようになりました。
結果的にそれは「デスエデュケーション」に近いものだと言う事も知りました。
人間の、死の受け入れ方は様々だと思います。おそらく100人いたら100通りの、死の受け入れ方がある。
僕が死のイメージトレーニングをしていたとしても、かのこさんの死の受け入れ方、考え方も、とても尊重すべきものだと思っています。

reeさん

人間、死んだら本当に、どうなるのでしょうね。僕は本来無神論者なんです。けれども、妻が亡くなって、プロテスタントの牧師さんに色々とお言葉をかけていただき、キリスト教には大変救われました。あの時に、あの牧師さんがいらっしゃらなかったら、未だに妻の死を引きづって、後ろを向いて生きていた事と思います。
けれども、だからといって、天の神を信じるかと言えば、そうでもないんですよね。
この感覚は、本当に不思議です。「あなたの宗教はなんですか?」と問われたら、プロテスタントです、と答えると思いますが、自分でも、どう考えてよいのやら、いまだに模索中です。

ゆうママ

なるほど。ネガティブな事を考えると言うのは、おそらく自分はひとり親だ、と言う責任感がなせる業なのではないかな、と思いました。
僕はよく、子供が交通事故で突然この世を去るかもしれない、という事を考えてしまいます。
3人もいるんだから、誰か1人は生き延びてくれよ、などと、馬鹿なことを考えてしまいます。
でも、思いつくことは思うにまかせ、無理やりその思いを押さえつけない、あくまで自然体でいようと思います。先ほど僕はキリスト教徒だ、とコメントしましたが、この考えは禅の教えです。宗教のいいとこ取りをしているような感じです。
2007/05/11(金) 21:18 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
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