3人の子連れシングルファザーがその日常生活を公開!  子育ての記録、お出かけの記録、大切なお話、メッセージなど。

近所に人の良いおばあちゃんが住んでいて、我々シングルファザー一家が非常に気になるらしく、時折おかずや果物、お菓子などを持ってきてくれる。非常にありがたく頂戴するが、ついでに聖教新聞を置いていく事や、公明党への投票要請を受ける事、創価学会の小さな集会への参加を打診される事が有る。

創価学会というと結構バッシングが有ったりするが、私はかなり好意的な目で見ている。と言うのも、創価学会員は真面目な人が多く、他人を助ける心根も有り、いかに幸せに生きるかを常に探し求めている人が多いと思うので、それは素直に良い事だと思うのだ

妻が亡くなり、そして今年父が亡くなって、改めて宗教とはなんだろうと考えさせられる事が最近、多くなった

日本人は死ぬと、大半の人が仏式であの世に行く。そして身内の死後初めて、僧侶と面と向かって話をする事になる。多くの僧侶と接した事がある訳ではないが、高校、大学以降ずっと、今の僧侶や仏教には幻滅して来た

私は曹洞宗の大学である、駒澤大学出身なので、授業で宗教学があった。そこで初めて般若心経や仏教の本、キリスト教の本に接した。

そこに書いてある事の素晴らしさといったら、近頃流行のノウハウ本を読むより、古くから廃れない宗教書を読むほうがはるかに効果的だと思ったくらいだ。

が、それにしても宗教書の理想と、日本の仏教への失望感の差はどうしたものか?

日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されて久しい。現に父が亡くなった時、いくらか忘れたが、数十万円の戒名料金を支払った。うちの母や比較的信心深い方なのでそれを高額と感じていないようであったが、私は応対した僧侶が、身内の死に打ちのめされている家族を癒そうとする努力に、相当欠けていると感じた

今まで見送った何名かの親族に対しても、他の僧侶の対応は似たり寄ったりだった気がする。そんな僧侶に、高額の戒名料を支払う事に、非常に憤りを感じた。

東京都の調査では、戒名料の平均額は、約42万円だそうだ。東京在住の場合、もし1日1回、戒名料収入があれば、その僧侶は月当たりの売上は1300万円となる。仮にサラリーマン同様、週休二日制であれば850万ほど、2日に1度の葬式でも425万円もの収入が転がり込んでくる事になる。

葬儀屋や葬儀場に、仲介手数料を取られるのかも知れない。何割だか知らないが、もし3割だとしても、坊さんの月収は425万円の7割で約300万円。年収にすると3600万円である

もちろんここからお寺の修理代や備品の整備などの経費も必要だろうが、一般に、「檀家」と呼ばれる人たちが戒名料金とは別に、結構なお金を寄付する事が多い。そして宗教団体は税制上も優遇されているから、日本においては相当な「富裕層」であることが推定される

こんなお坊さんに、初対面で42万円を支払い、まあもしここで相当な癒しをいただけるのであればまだ良いが、不幸な事に今までその様な坊さんに出会った事はない。

それとの比較で、しかも1度しか経験がないから正確性には欠けるけれども、妻を送った時のキリスト教の牧師さんの対応は「感動」すら覚えるほどの癒しであった。仏式の葬式では、献花されると、「会社名」や「役職」などが明記されたものが棺桶のまわりにずらりと並ぶ。私はこれにも非常に抵抗を覚えてきた口だけど、キリスト教の場合は、全てそういった「肩書き」撤去して、花を並べる。

もちろん戒名など無い。お金の相談よりも牧師がひたすら家族の辛い気持ちを受け止め、長々と話を聞いてくれた。そして葬式、キリスト教では確か「送る会」と称していたと思うが、「そこで歌う賛美歌は何にしましょうか?」「最後に牧師の説教があるのですが、どのような事を述べたら良いかご希望はありますか?」と、全て手作りのお葬式である事に、非常に驚いた

もちろん葬儀屋は来るのだけど、主人公はあくまで遺族と牧師で、葬儀屋はそれに従うだけ。仏式のように、葬儀屋の主導権の下に葬儀が行われるといった事はなかった。

本来キリスト教は、信者になると毎週のお祈りの中で、好きな金額を寄付する仕組みである。なので、葬式だからといって特別にお金を払わねばならないという事はないようだ。

が、当方は信者ではないので、こんなにも良い葬式を挙げてもらって無料では困ると主張し、そうしたら協会の会計責任者が、「あえて言えば20万円くらいですかねえ」と言ってくれたので、素直に20万円を支払った。仏教の戒名の半額なのであった

では一体牧師さんの収入はどうなっているのか? 以前務めていたゼネラルエレクトリックに、元牧師でGEに転職した人、それとGE社員だったけど、牧師に転職したという、珍しい経歴の2人がいたので、遠まわしに聞いてみた。ちなみにGEの年収は大体税込みで700万円前後である。その人の答えは、比べられない位安いです、との事であった。

とすると、一見似た様な職業である宗教者でも、キリスト教(ここではプロテスタントだった)と仏教では、欲望の象徴でも有る「お金」の面で極めて大きな差があることが想像できる

ここに、私が長年抱いてきた、仏教への不信が内在しているのかもしれないと、そう感じた

宗教者の、外への働きかけでも同じような傾向だと思う。妻を見送った協会からは、今でも月に一度、教会の活動や理念を記したパンフレットが送られてくる。それに対し、高額の戒名料を支払ったお寺から、その様なチラシが送られてきたという話しは、聞かない。

ボランティアという面でも同様。東京在住時代、キリスト教関係者がホームレスの人々に、おにぎりを配っている姿を数回目撃した。が、仏教関係者がそんな事をしている姿は一度も見た事がない。もしかしたら東京の山谷とか、そういう所ではやっているのかも知れないが、私は知らない。

念のため、グーグルで「仏教 ボランティア」、「キリスト教 ボランティア」で検索してみた。すると結果は、仏教が60万件ヒットするのに対し、キリスト教は56万件。キリスト教徒の人口が100万人程度、仏教徒が9000万人(これは数値としては多すぎるが)という事を考えると、仏教が社会に役立っている度合いは、相当に低いのではないかと言わざるを得ない

では既存の仏教に満足できない人々はどこに行くのか? それが創価学会に代表される比較的新しい宗教であり、江原さんのようなスピリチュアルであると思っている。(スピリチュアルは本来的には宗教とは別、とも言えるが)

これらに共通しているのが、死んだ時の後始末のために登場するのではなく、生きている今を、いかに有意義に、幸せに送るにはどうしたらいいのか?という、人間が本来持っている欲求に、キチンと答えを出しているからだと思う

もちろんそれらに関与するにも、一定のコストはかかる。が、幸せを感じる対価としては、非常に安いのではないかと思う。池田創価学会会長や、スピリチュアルの江原氏の収入が高いか安いかというのは、あまり問題ではなくなるのではないかと思う。

高い年収を得ている僧侶が、庶民を真に癒せない堕落した今の日本の仏教にくらべると、例え江原氏が億単位で稼いでいたとしても、我々庶民が幸せを感じられるのであれば、それは問題ではないだろう。

とても幸せだと感じている冒頭のおばあちゃんが、頻繁に我が家で布教活動するのも、むしろ好感が持てる今日この頃なのである。

(今回の記事は5月に書いた「
死のイメージトレーニング」の記事の続きでもあります)


 


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コメント
この記事へのコメント
実家は仏教ですが、嫁いだ先はクリスチャン。
義両親が毎週教会へ礼拝に行く中、私達は行かないんです。
私達夫婦、神様はいるのかもしれないけど、それは宗教ではない、と言う考え方なので。
何か形になっていなければ人は神を崇める事が出来ないんじゃないかな、って思うところアリです。
2007/10/29(月) 23:14 | URL | ree #nJDHedgo[ 編集]
無知な私がなんとなく思うのが
どの宗教も
根本的な根の部分は同じなんじゃないかなぁ〜〜って。
心の底から信じる事の大切さ!
心の底からの祈り!
そこから安心感や安定感や人に与える気持が生まれてくるのかな?
だから宗教に入らなくてもこういうことが実践出来てる人は、すごいなぁ〜って思う。
どの教えも素敵なので、聞く機会があるとうれしくなってしまってます。
ヨガの考え方が最近好きです。
無限の宇宙に身をゆだねて〜〜〜
なんてっ!リラックスしてます(笑)
2007/10/30(火) 08:48 | URL | いちご #-[ 編集]
いちごさんの意見に近いんですが…。

宗教って、結局どの考え方にしても最終的に目指すところはひとつなんだと思います。

ひとつの山頂に向けて、いろんな登山コースがあるように。

うちの宗教は曹洞宗ですが、他の宗教(仏教に限らず)、否定する気にはなりませんね。

宗教は死んだ人のためではなく、生きていく人間のためのもので、「死」というものを考える機会を与えてくれるものだと思います。

いろんな宗教のお話を聞いて(おかしな言い方ですが)「いいとこ取り」をするのがいいのかな〜って。
日本人が得意とする考えですけどね。世界中がそうなれば宗教戦争なんてなくなるのに…。
2007/10/30(火) 23:28 | URL | なつ #-[ 編集]
reeさん

へ〜、やはりアメリカでは教会に行く人、多そうですね。アメリカではカトリックが多いのでしょうか?
キリストの彫像や、仏教の仏像など、ああいったものを見ていると、なんだか心が落ち着くような気がします。ただし、お世話になった教会はプロテスタントでしたので、十字架以外は、一切ありませんでした。

いちごさん

いちごさんは全然無知ではありませんよ!太陽ですね。花で言えばひまわりか。
やはり「信ずるものは救われる」というのが宗教でしょうね。
私の場合、お世話になったからキリスト教的な考えに共感しますが、かといって神様がいるとは、急には信じがたい。しかしながら、妻が亡くなった時に牧師さんが繰り返し言われた「いずれ神のもとで、相まみえる」という言葉にずいぶん救われました。

なつさん

「ひとつの山頂に向けて、いろんな登山コースがあるように」とは、素晴らしい例えですね! 私も宗教の共存は可能だと思います。今敵対しているキリスト世界とイスラムの世界、2回の世界大戦の前までは、結構仲良く暮らしてたんですよ。イスラエルの建国以来、すっかり憎しみ合うようになってしまいました。
「宗教は死んだ人のためではなく、生きていく人間のためのもので、「死」というものを考える機会を与えてくれるもの」・・・まさしくそうですよね!信仰心を持った人、私はとても羨ましく感じる、今日この頃です。
2007/10/31(水) 13:17 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
今更?ですが、、たまたま通りかかったもので。
私は宗門関係者で、現在、駒澤大学に通っています。多少、偏った意見になるかもしれませんが、ご理解ください。

管理人様の葬式仏教に対する批判、僧侶に対する批判的な意見、堪えうるものではありません。重く受け止めなければならないと思いました。
そして、私自身、今後どのような僧侶を目指すか、改めて考える機会を頂いたことに感謝します。
ありがとうございました。

ただ、冷静にかつ客観的に考えて頂きたいことがあります。

>年収にすると3600万円である。
この点について、曹洞宗をモデルにして検討します。

日本の人口を1億2000万人、年間の死者数を100万人、とします。
すると、年間の死者数は全体の0.8%程になります。
また、典拠は確かではありませんが、全国に曹洞宗檀信徒数は800万人といわれています。
ここで人口に対する年間の死者数の割合0.8%を用いると7万人弱。
これが、曹洞宗内の年間死者数になります。

また曹洞宗寺院は1万4000ヶ寺とします。
すると1寺院辺り、年間4、5名の死者となります。

私も初めて計算したんですが、(間違っていたら、すみません。)どうでしょうか?もちろん、収入源は、他にもあります。しかし、その収入も宗教法人としての収入であり、決して個人の収入ではありません。
僧侶は、檀家の総代との話し合いで決められた額が給与となり、所得税も払います。
現実には、安定した収入を得られず兼業をしている方が多いのではないでしょうか?

また地域によっては、葬式を1人を行う土地もあれば、4〜7人で行う土地もあります。
それは、その地方によって寺院側または、檀信徒側から要求?必要とされたシステムに変わっていったからだと考えます。首都圏における葬儀屋さんが主導権を持っている問題もしかりです。

だからと言って、現状が良いとは思いませんし、changeが必要な時にもきていると思います。

このような危機感を抱いて、(その善し悪しは別としますが)活発に活動されている方もいます。
ご批判はもっともですが、駒沢大学出身の方なら余計に理解していただきたいし、だからこそこのご時世、管理人様が
>そこに書いてある事の素晴らしさといったら・・・
と仰ったように、その素晴らしさの方に少しでも目を向けて頂きたいと思います。

言い訳をするようで、こんなことを意見するのは本意ではありませんが、駒沢出身と聞き、敢えて言わせて頂きました。

最後に、私も、その気持ちの良いおばあちゃんのような、僧侶になれればなとも思いました。
長文駄文、失礼しました。失礼をお許しください。
2008/07/23(水) 17:39 | URL | ゆう #-[ 編集]
ゆうさん

この度は、貴重なご意見を賜り、ありがとうございました。
実はその後も、細々と?宗教への興味が尽きず、いろいろと調べていく中で、本文中の僧侶の収入に関する記事は、不適当であるとの考えに至っております。
確かに、大都市部での一部の僧侶には極めて優遇されている人もいるようですが、地方でのお寺の「経済的な」生活と言う意味では、恵まれていないケースの方がかなり多いことに気づいています。
いずれ続きの記事を書こうと思いながら、あまりにもブログに書きたいことが多くて、書けていません。
今回ゆうさんがご指摘された内容は、かなり的を得ていると思います。
問題は、最近のお坊さんにハッピーな雰囲気を持った人が少ない、と言う事かもしれませんね。
いつもニコニコしているお坊さん、と言うのもある意味気持ちが悪いですが、正直、人を元気づけるお坊さんをあまり見かけないのも事実です。
仕事中に頻繁に自宅を訪問してくる「エホバの証人」の信者の方が、善し悪しは別として、「宗教的には」満たされているように見えてしまうところに、現代仏教の苦悩が見え隠れするようです。
2008/07/23(水) 18:18 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
東京というところは、物価も高けりゃ戒名料も高いんですね(笑)

それはともかく、
つい最近、子どもたちを連れて薬師寺へ行った時に聞いた法話によると…
古い奈良のお寺は葬式をするお寺ではないということを強調されていました
万人が健康で平和に暮らせる世になるよう祈る場所だそうです
ですから、薬師寺、唐招提寺、東大寺などいずれのお寺にもお墓がありません
葬式をしたいと言っても無理ですし、僧侶たちもそこで葬式をすることはありません
更には、同僚の僧侶から葬送のお経を唱えて貰うこともないそうです
これが本来の仏教の姿だとおっしゃっていました

私も以前は塾長さんと同じようなことを考えていましたが、仏教も捨てたもんじゃないなと思いました

ただし、薬師寺も伽藍復興のための荒稼ぎを過去に非難されたこともありました
宗教とお金は切り離せない問題なんでしょうかね…

でもでも、その法話をしてくださった若い僧侶は気持ちの良い語り口で、わかりやすく、お寺の雰囲気も手伝ってとても心地よい気分になりました
こんなところなら、また行きたいと素直に思えました

そして最後に、お寺に参るときは、私が!私が!という願い事をするんじゃなくて、多くの人に支えられて生きていることに感謝して帰ってくださいとのことでした
なるほど!
2008/07/24(木) 12:14 | URL | あーちゃん #-[ 編集]
あーちゃんさん

地方だと戒名って、安いんですか!? 全国共通料金だと思ってました。
宗教とお金って、切り離さなくてもいいと思うんです。ビジネスではありませんが、きちんとした対価を払う価値があれば、払ってもいいと思う。
その価値があるかどうかを判断するのが、非常に難しいんですね。
わたし的には、ボランティア活動をしているかどうか?あたりで判断したいところですが、自分じゃボランティアをやらないのに、宗教の側にだけそれを求める自分の姿勢にも疑問が湧きます。
難しいですねえ、本当に。
ゆうさんから有意義な指摘をいただいたので、今日は「般若心経」の本を探してました、家の中で。
どこに行ってしまったのか、出てきません。
もう一度読み返してみようと思っています。
2008/07/24(木) 20:29 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
コメレスありがとうございます。

折角なので、お気に入りに追加して、ちょくちょく覗いていました。
"ハッピーな雰囲気"という言葉を受けて、自分なりに思うところを…


まず、檀家さんと触れ合う機会が、殊に都会においては極端に少なくなっているのが、一つ問題だと思います。
私の田舎では、月行と言って、月に一度、お経を上げに檀家さんの家(希望者のみ)に伺います。
では、都会の僧侶が怠けているのか。…実際はそうでもなく、スケジュールを考えて、そんなことをしていては身が持たないといった場合が多いのだと思います。

また、僧侶がタブーな領域?を持っていることも一つの原因だと思います。
例えば、お見舞いに行くのに、僧侶が黒衣で行く。皆さん絶対、嫌がりますよね?負のイメージを持たれていることを、自覚とまでは言わないにしても、薄々感じているから、一歩踏み出して自分をもっと表現することを避けてしまう僧侶が多いのかもしれません。
また積極的に僧侶の側から、近づこうとすれば、人間関係が希薄となった現代においては、多くの人が"宗教=怪しい何か"と関連付け、拒否されることを恐れていることもあると思います。
そんなことでは駄目と言われれば、それまでですが。


すみません。結局、解決には向かっていません。
むしろ、私自身、どうするのがいいか悩んでいるようです(笑


宗教的に満たされているように見えるのは、彼らが"布教活動"を"行"として行っているからではないでしょうか?
それならば、毎朝、仏壇に向かって線香を一本上げてみる。
上記は一つの例ですが、これはこれで下手にあれこれ考えるより、シンプルでまともだと感じています。


ちなみに戒名料ですが、全国共通どころか、、同じ地方でも各寺院によって異なっていると思います。


差し出がましいとは思いますが、
あーちゃんさんの
>古い奈良のお寺は葬式をする…
を受けて意見させて頂くと、
インドにおける原始仏教においては、仏教教団は独自の葬送儀礼を持ち合わせてはいなかったのは、認められるようです。
仏教は「死んだ人のためではなく、生きていく人間のためのもの。」だから、葬送儀礼は、必要としない。してはいけない。という考えもあっても良いと思います。
しかし、親しい人の「死」を悲しむことは、時代や民族を超えて共通のもので、それにどのように対処するか。
「生きている人間」だからこそ
「死」といかに関わっていくか。
仏教が、中国に伝えられ、葬式が仏教儀礼に加わったのは、至って普通、当然だったのではないでしょうか。敢えて葬式を避けようとする必要はないように思います。

またまた、長々と失礼しました。
他の記事も少しのぞかせて頂きました。子供さんお茶目で可愛いですね(笑
また来ます^^ では。
2008/07/28(月) 17:23 | URL | #-[ 編集]
ゆうさん

コメント、ありがとうございます。
私は仏教的な理念は、実は非常に好きなんですね。グローバル化が進んだ時代こそ、一神教ではなく、多神教の考え方、多様な価値観を認めやすい仏教の方が、合致しやすいと思っています。
しかし、お坊さんがやはり本当にその理念の良さを、一般人に伝えていないんだと思います。

確かに宗教の良さを伝えるのは、「迷惑だ!」と叩かれるでしょうから、大変です。
が、良い教えだと思ったら、どんなに叩かれても、ドンドン布教活動すれば良い。それは宗教者に、避けては通れない道でしょう。
既存の、曹洞宗や、うちの家系は浄土真宗のようですが、それらが広く一般の人に問いかけてこないのが、不思議でならないんです。
極めて保守的になりすぎて、現状の体制(私はそれをあえて、既得権益と言いたいのですが)を変革する能力に、欠けているのかもしれません。

そもそも仏教は自らが一定のの境地に達することが目的(の一つ)なので、布教活動などの行動にはつながりにくいのでしょうか?
今の世の中ほどある意味生きにくい時代は無いともいえます。生きにくい時代で己を癒してくれる場所や方法を、みんな求めてさまよっています。

特に日本人は辛いかもしれません。仏教的な理念からすると、「無」の境地に達することが良しとされてきました。
が、今やアメリカ型資本主義が世界を席巻して、「アイデンティティーが無いのは悪い事」と言う考え方がはびこり、本来ある意味「自分」なんて無くても良かった日本人が、急に自分探しをしなくてはならなくなったんですから。

仏教をはじめとして、適切な宗教に落ち着けばよいのですが、本質を見抜く眼力が無いと、江原氏のような、宗教者から見たらまったく馬鹿げた世界に行きついてしまいます。
たぶん、今こそ仏教は主張し、世の中をリードしてゆくべき時代だと感じています。諸行無常を説く仏教が主張するのはなんだか矛盾しているようですが、行動の伴っていないあらゆる事象はいずれ、淘汰されかねません。
私はそれが、とても心配です。
2008/07/29(火) 17:37 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
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