3人の子連れシングルファザー主夫がその日常生活を公開!  子育ての記録、お出かけの記録、大切なお話、メッセージなど。

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先日、彼女の誕生日を記憶している、していないで、紛糾しそうになった。女性にとって、誕生日はとても重要。と言う事を、久しく忘れていた。

非常に困った事に、僕は小学生の頃から始まって、妻の死まで経験するに当たり、誕生日とか命日とか、人が生まれた日や死んだ日というものが、大変漠然とした観念になってしまった。(分かりやすく言えば、非常に広く捉えている、という事)


どうしたもんかな…、と思っていた矢先に見たのが
大槻教授のブログの記事、「墓参り」。

これほど僕と似たような考えの人がいるんだと分かって、大いに驚いた、といより、かなり、ホッとした

(話はそれるけど、最近いろいろブログを見ていると、若い人よりも老人の方がはるかにハッキリと自己主張していますね)

ヒト科ヒト、ホモサピエンスの誕生は、生命40億年、太陽系50億年、広い宇宙150億年の歴史から見ると、ほんのまばたき程度の一瞬にしか過ぎない。その瞬間の、さらに誕生日とか命日とかに、どういう意味があるのか、昔から僕には、良く分からない。

妻と子を育み、そして妻を看取った経験から考える。

そもそも誕生日って、いつを指すんだろうか?

本当に、母親の胎内から出てきた瞬間なんだろうか? どうしても、僕にはそう思えない。

愛する人とセックスをして、知らないうちに受精した瞬間。これも、誕生日だ。「生理が来ないなー」と恐る恐る病院に行ったら、先生が「おめでとうございます」と言った瞬間、これも、お腹の中の子供を強く意識した最初のエピソードだから、誕生日と言える。

妻のお腹が、日一日と大きくなるのを見て、初めて男性は子供の誕生をイメージする事ができるようになる。だから、僕にとってはこれも誕生日の一つ。

そして、胎教をしている時、生まれるだいぶ前の段階から、妻のお腹を通してでも親子でコミュニケーションを取れる事が分かった瞬間。出産はしていないけれども、既に生まれたも同然じゃないか? だから、これも誕生日。

昔は自然分娩以外の手段が無かったから、例えば現代なら帝王切開で助かる命も、昔は母子ともに終わりだった。

と言う事は、子供には誕生日が無いのだろうか? 違うと思う。立派に途中まで、お母さんのお腹の中で誕生していた。

そう考えると、例えば長男の誕生日は僕の頭の中では、「14年前」という言葉がとてもしっくりくる。何月何日、にこだわりが無くなる。

同様に、死についても同じように考えるようになった

妻は自殺で死んだ。自殺した瞬間が、「死」なのだろうか? 自殺は普通の精神状態ではとても不可能だから、それ以前に精神に異常をきたして、妻が妻らしくなくなった時点で、かつて知っていた妻はいなくなった、とも言える。

自殺の瞬間からしばらくは、脳死(とも言える)状態だった。現代では、これを死とみなす事ができる。

その後数十分が経過して、心臓が止まった。誰もが泣いた瞬間で、本当に死んだように見える。が、それでも体内の各細胞はまだ存続しているので、大半は生きている、とも言える。

妻の亡骸と過ごした数日間。まるで、スヤスヤと寝ているかのようで、とても死を受け入れるなど出来なかった。死んでいると言うより、寝ているのではないか?と本当にそう思えた。

葬式で、体を灰にした瞬間。これが死ぬと言う事なのだろうか? この段階で、相当見た目が変わる事となる。

でも、僕の心の中では、まだ妻は死んでいなかった。どうしても、死を受け入れられなかった。そして、自分も精神に異常をきたすようになり、1年以上苦しみ、ようやく妻の死を受け入れ始めた。

この期に及んで、ようやく「妻は死んだ」とかなりと認識できるようになった。

と言う事は、この瞬間、といっても何月何日と特定できないのだが、これが命日らしきものなのかも知れない。

とにかく、命日なんてものは国家が法的に定めたものでしかなく、人それぞれ違ってもいいんではないかと思う

今僕の中で命日らしきものは、「何年何月何日」という形ではなく、「あの暑い夏だった」という単なるイメージでしかない。命日を設定していないので、妻の命日に家族で何かする、と言う事も一切ない。

ただ時折、意識して子供にお母さんの話を聞かせてあげる瞬間が、僕にとっての命日だと思っている

さて、僕が死んだら、子供は世間一般の常識通りに、命日を設定して、僕のガイコツをお墓に入れるんだろうか? 死んだら意識なんて残らないから、もうどうでもよいのだが、今生きる中で想像すると、やっぱりお墓は嫌だ。

一年中、春夏秋冬、あの真っ暗なガイコツ置き場に納骨され、放置されるのは嫌だ

パウダースノーのようにガイコツをサラサラに粉砕してもらって、少しずついろんな所に、誰も気がつかないように撒いて欲しいなあと思う。

一部を庭に、一部を庭の近くの崖の林に、一部を大好きだった
丹沢のブナの森に、一部を鹿島灘の波打ち際に、一部を渋谷のスペイン坂や西武ロフト前の賑やかな場所に、残りのほんのちょっとを、やっちゃいけないんだけど、シアターコクーンの劇場内に撒いて欲しい。

少し風が吹けば、もうどこにいったか分からないような状態で、世の中の一部になるのがいいな。

千の風になって・・・・。この歌は僕の死のイメージと、ピッタリだ。

 


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コメント
この記事へのコメント
私も同じことを考えていますし、ココだけの話、主人の実家のお墓に入るなんてまっぴらです

お葬式もその後の法要も、全て残された遺族のためだけにあると思います
生きているうちに十分に世話できなかった後ろめたさを慰めあう場のような気がしてなりません
願わくば、お葬式の代わりに、お母さんって楽しい人生を送ったよねーなんて言いながら、子どもたちが食事でもしてくれればそれでいいのです
あー、やっと死んでくれた!でも全然OK

ただし、40代ぐらいで死んでしまったら、そうもいかないでしょうかね
それでも、まぁ仕方ないよねって思って欲しいし、生きてる人のためにお金は使って欲しいと思います



2009/01/27(火) 13:15 | URL | あーちゃん #-[ 編集]
昔の日本の考え方「数え年」は、お母さんのおなかに命が宿った時点で誕生、十月十日をおなかで過ごしこの世にあらわれた時点で1歳、と考えていたそうですね。
(現在でもアジア諸国ではこの考え方。)
私はこの方がしっくりきますね。

命日は…う~ん考えたコトないなぁ。
行政的に言えば死亡の届け出に記載された日ですが。ちなみにうちの母親の亡くなった(届に記載された)日時は推定な訳ですが。
「大体これくらい」…それでいいのでしょうね。

さらに行政的に言えば、散骨の際にはきっちり許可を取ってくださいませ(笑)
夢とロマンと融通のない職場です。
2009/01/28(水) 00:04 | URL | なつ #-[ 編集]
あ・・・うちのダンナ、私の誕生日を覚えてた事、今までないですよ。
今年は子供に言われてて覚えてただけ。
私の願いは、そのまま埋めて欲しくない。
火葬にして、一部実家のお墓に入りたい!!
2009/01/28(水) 00:57 | URL | ree #-[ 編集]
塾長さんこんにちは♪
ご無沙汰してますが、塾長さんのブログはいつも拝見してます。

千の風になって・・・
愛する人を見送った人(私も含めて)にとっては本当に癒される歌ですよね。
私も感覚的には塾長さんに近いかな?
自分の死後、お墓や私の遺骨をどうされようと、それは残った皆が一番いいように決めて欲しい、
私自身の魂は、限りなく自由になりたいし、残った子供達や家族を、自由に今までどおり見守っていきたいなぁと思います。
2009/01/28(水) 15:17 | URL | みんみん #-[ 編集]
あーちゃん さん

そうですね、お葬式とか、お墓参りとか、これらは残された人の心を整理整頓して、死を受け入れるためにある仕組みですよね。人間、なかなか上手い事考えたなーと思います。
初七日とか四十九日とか、遺族が一歩ずつ死を受け入れていくのにとても適切な日にちの設定なのだそうです。

なつさん

数え年、考えた事が有りませんでした。初めて知りました、お恥ずかしいながら。とても素晴らしい考え方なのですね。なんか、ある種の感動を覚えます。ありがとうございました。
あ、それと、散骨は勝手にやってはいけませんね。注釈付けようと思ったんですが、ただでさえ理屈っぽいブログが、よけいゴチャゴチャしそうなので、あえて付けませんでした。さすが、なつさん、チェック入りますね・笑。

ree さん

誕生日を覚えてない(覚えられない?)男が世界に少なくとも2匹はいると分かって、大変にホッとしています。覚えている男性も多いでしょうが、たぶん、無頓着な男も多いのでしょうね。
おそらく、女性は痛い思いをして命がけで生みますから、「生まれてくれてありがとう!」という感情から、男性よりも比べ物にならないくらい、誕生日を重視するんだと思います。男とは感覚が違うんでしょうね。

みんみんさん

本当に癒されますねー、何度聞いても。この歌を紅白で初めて聞いて、本当に初めて、完全に妻の死を受け入れる事が出来たような気がします。
同時に、自分の死も、かなり受け入れる事が出来た感もあります。
世の中、将来どうなるか分かりませんが、人は皆死ぬ、という事は100%絶対に確実な事ですからね。
自分の死ぬ時の事や、死んだ後の事を時たまイメージしておいても、良いかなと思います。
2009/01/30(金) 11:09 | URL | コメレスです #ZTGLyrdM[ 編集]
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